にくっぺの凸凹日記

落ち着きがなくて問題児だった子供。原因は聴覚過敏?

 娘のにくっぺちょっと個性的な特性を持っています。
好きなことは集中できるけど、興味がないことはやりたくない。
初めての場所が苦手。

聴覚過敏があり大きな音や騒がしい音が苦手です。

保育園の先生から呼ばれ告げられたこと

 

集団で行う活動や遊びに馴染めていません。集中力がなくなって、
動き回ってしまいます。注意すると怒って先生を叩くんです。」

この文章をみてどんな子供を想像しますか?

先生の言うことを聞かない、問題児っぽいですよね(笑)
そう先生に言われたものの、家では育てにくいという印象があまりなかったので、ピンときませんでした。
ちょうど反抗期くらいの時期だったので、教えていけばそのうちおさまると思っていました。
しかし、子供の行動は一向に改善する気配がありませんでした。
そして、ある日にくっぺが言ったのです。

「みんなの声がうるさいの。うるさくてしんどいの。」

日常生活では、にくっぺの声が妙に大きかったり、テレビや電子ピアノの音量をどんどん上げていくこと、なんとなくモヤっとしていたことがすべて繋がるような気がしました。

もしかして聴覚過敏?


子供が聴覚過敏かもしれないと気づいた瞬間でした。

日常生活では、にくっぺの声が妙に大きかったり、
テレビや電子ピアノの音量をどんどん上げていくこと、
高齢者の方で難聴の方がよくやる行動です。

もしかして「色んな音を拾いすぎて聞こえずらい」という状態だったら?

園内では常に子供の騒ぐ声が響き渡ります。
発達と共に注意を向けるべき音にフォーカスが当てられ、他の音に注意を向けないように脳が振り分けを行うのですが、聴覚過敏の子は全ての音を拾ってしまうようです。

 

もし、色んな声や音が同じ音量で聞こえているとどうでしょう?
そんな空間の中で集中することができるでしょうか?
説明する先生の声も聞こえないかもしれません。

遊びのルール説明もよく聞こえない、
自分がどう遊べばいいかわからない、
この場から離れたい、離れたら先生が怒る、
どうして怒られたのかわからない。。。

本人にしかわからない辛さがあったとおもいます。

多数派が理解しがたい世界の中で、子供は苦しんでいたのかな…と胸がとても痛みました。
そして私達大人は自分の価値観で子供の行動をみていただけだったのではないか?ということに気づいたのです。

子供の特性がわかってからとてもいい意味で固定概念が崩れました。
普通ってなんだろう?
どういう子がいい子でどういう子が問題児化なのか?
じっと座っていられる子?

勉強ができて、いい学校に入れたら本当に社会で成功できるのか?
100人いれば100通りの個性に対して、同じ授業をして本当に意味があるのでしょうか?
 
 

世間でいう普通というのはただの過半数

この世あらゆる物事は善か悪か、黒か白かですっぱり分けられることはできません。
グレーというよりかはむしろ虹ように境界線がぼんやりとしたはっきりしないグラデーションの世界の中で生きているのではないかと思うのです。

いろんな価値観があり、いろんな特性があり、1人1人得意なこと、苦手なことは異なって当たり前なのです。
そんな中で好きなことを伸ばし、苦手な事はそれが好きな子に任せていく。そうやってみんなが支えあって生きていく。
そんな社会になって欲しいですね。


せっかくそれぞれが異なった個性をもっているのに、同じ方向を向くような教育は意味があるのでしょうか。

産まれた子供を初めて抱いた時、唯一無二の存在、オンリーワンを感じたはずなのです。

けれどいつの間にか、他の子と違う育ち方や行動をすることで不安を覚え、同じということに安心してしまうのです。
 

違ってあたりまえ。同じことに安心するのはやめよう。

 
相手が自分にとって理解しがたい行動にでたとき、自分の価値観で相手を注意したり、批難していないだろうか?
子供が周りと違う行動をしたとき、恥ずかしいと思ったのは子供?
それとも自分自身?

 

自分に毎日毎日問いかけています。

 

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