PTママの働き方

障がいをみるのではない、その人をみる。

私は訪問リハビリの理学療法士として働いています。

普段接する方々は、病気や怪我で身体に不自由さを抱えながらも、頑張って日々の生活を過ごしている方々です。
難病、麻痺、認知症、関節症その他にも内部疾患など1つだけでなく色々な病気を併せ持っている方が多いのです。

 

私は理学療法士なので、日常生活の動作が楽に行えるよう運動や動き方のアドバイスなどをします。

 

ここ何年かある事で悩む事が多いのです。
歩けるようになったり、痛みがとれたり、動作がスムーズになったり、確実に身体は良くなっているのに、本人が幸せと感じて生活をしていないのです。
しかし、反対に車いす生活が中心になっても、前向きに色々活動的に生活されている方もいます。

 

この違いはいったい何なのだろう?

 

最近は母親として、ASDの娘を通して社会をみるという機会が増えました。

 

私がPTとして接している利用者さん達の生きづらさは、後天的な病気や怪我によってもたらされることが多く、
娘のような発達障害によってもたらされる生きづらさは先天的な要因。

 

両者の抱える生きづらさはまったく別のものなのでしょうか?

 

もともとできていたことがが病気やけがにより、自分の思うように動かなくなる。
元の体に戻りたい、動けるようになりたい、歩けるようになりたい。そう願う事はごく自然なことです。

 

一方発達障害のわが子は、自分では当たり前だと思っていた感覚や世界観が周囲と異なることで苦しむ。
うちの子は刺激が少ない場面ではほとんど症状がでません。なので、周りの人に話しても
「全然そんなことないよ~」
「そのうち治るよ」
って言われたりします。

 

「治る」この言葉はもろ刃の剣で、希望にもなりえますが、「治る」ことがない特性に向けられるとダメージをくらいます。
発達障がいの当事者さんの発信をみていると彼らは「治す」ことよりも「そのままの自分を受け入れてほしい」というメッセージを感じます。

 

周りが自然に受け入れれてくれる。その人が抱える不自由さも丸ごと。
病気じゃなく、障がいじゃなく、その線引きではなく、すべてひっくるめた個人として受け入れてくれる。
そこはもう後天的とか先天的とか関係ないのではないかなと思うのです。

 

そう考えた時に、PTとして母親として自分がみるべきとところはやはり

 

「問題」

ばかりではなく

 

「強み」
「好きな事」
「得意」
 

 

を一緒に見つけていく事かな思っています。

 

とかいいながら、毎日、毎日迷っていますよ。
迷えるPT。迷えるお母さんです…。

 

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